こんなお話しです
・たくさん居る彼氏候補の中でもナシ寄りのナシだったのに、いつのまにか一番に・・
・お付き合い中に子宮頸がんになってしまい、そこからメンヘラと依存が加速
・体と心が正常になったら、別れるパワーが出てきた / 愛の基準って人それぞれかも
プロフィール
ご本人 | 女性 | 30代前半 | ひかるさん ・独身 会社員 ・お仕事に趣味に、何でも全力投球のがんばりやさん。 ・過去にも年上とのお付き合いが多い。(21歳差まで) ・このお付き合い中に子宮頸がんを発症、一部摘出。 | |
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お相手 | 男性 | 40代後半 | ・既婚 経営者 ・エネルギッシュ。自然体で隠し事ができないタイプ。 ・高級住宅街に自宅があるが、ほとんど帰らない。 ・回避依存症の自覚あり。 | |
期間 | 4年間 |
愛を測る基準 – 子宮頸がんの克服と回避依存症の彼:ひかるさん(女性・30代前半)
出会い: モテモテの自分は大丈夫と思っていたけど
友人が引っ越し祝いでホームパーティを開く機会があって、そこで彼と出会いました。その時、私はフリーでしたが、色んな男性から「好き!」とか毎日ご飯奢ってくれたりでアプローチされていたので、正直彼はたくさんの中の一人でしか無かったです。しかも彼は既婚で、もう彼女も2人いて、、なんかそのうちの一人とも同棲してて、性格が合わないからもう別れたいとかでその相談を受けてました。
ああ、メンヘラ量産機なんだなーと・・初対面からすぐにわかりましたし、まぁ私は他の男性たちで満たされてるし、女性として自信もあって自立していたので、こんな人に言い寄られても・・と、全然平気なつもりでした。
でも、そのうち彼からすごいアプローチされて、まぁご飯くらいなら、とかで会うようになっていったんですが、気がついたら沼にハマっていましたね。気付いたらその人しか見えなくなってしまっていました。仕向けられたと言うか、最終的にはドメンヘラになってました。
彼と付き合うことにしたのは、彼の誕生日でした。お祝いしてほしいと言われて、沖縄いきたいとか言い始めて、つきあってもないのに沖縄に行くことになりました。思い切りの良さとかが面白くて。。その旅行の時に、正式にお付き合いすることにしたんですが、、それにも私の中ではちゃんとした理由がありました。それもお話ししますね。
楽しかった思い出: 彼だけが体の心配をしてくれた
実は、お付き合いする上で、この人と決めたひとつの理由がありました。お付き合いする前の時点で、私は子宮に「高度異形成」が発見されていました。子宮頸がんになる一歩手前の状態ですね。低度、中度、高度とあって、最初は中度の状態で発見されたんですが、そのうち大きな病院で精密検査した結果、高度と診断されて、ガンとして進行してるんじゃないかということでした。
このことは、その時つながりのあった男性みんなに伝えていました。だって、本当に子宮頸がんになって、子供が産めないとかで、その男性が初婚だったり、子供が欲しかったりしたら申し訳ないと思って・・。というか、死んじゃうかも知れませんし。ただ、男性の中では意外とその重大性を理解してくれる人は居なかったんですよね。みんななんか「そういうのって2人で乗り越えていけば良いじゃん!」とか言っていて。本当にわかってるのかなぁ?みたいな。
そんな中、例の彼だけが検査当日に電話をかけてきてくれて、その時はまだがんまでにはなってなかったので、「大丈夫でした」と言ったら、「じゃあお祝いしよう!」とご飯に連れて行ってくれたんですよね。他の誰もそこまで深刻に心配してくれてはいなかったし、彼が気にしてくれていたのが凄く嬉しかったんです。
それに、「もし私ががんになって子供が産めなくても、彼はもう結婚しているし子供も居るし、申し訳無くないじゃん!」という条件の一致的な部分もあって、それでお付き合いすることにしたんです。そんな流れで、沖縄旅行に行った時に正式にお付き合いすることにして、初めての夜も過ごして・・。彼は経営者だけあってお金もあったので、私が住みたいと言った家も借りてくれて、一緒に住み始めました。といっても、まだまだこの時は彼のことを一番好きというよりは、まぁお金もあって面白いし、くらいの感覚だったんですけど。
で、付き合い始めてすぐに、彼はそれまで関係を持っていた女の子を全部切ってくれたんです。連絡先とかも全部ブロックして、借りてくれた家にいつも居てくれるようになって、どんどん生活も一体化していきました。言葉でも「今まで付き合ってきた子とひかるちゃんは違う」「はじめて奥さんと別れても良いと思えるくらい好き」とか言ってくれました。
そこから1年は私も全然依存している感じではなくて、仕事も忙しかったし、彼のことも一番ではなかったし、ぶっちゃけ他の男性とも遊んでいました。そういう状況は彼にもオープンにしていて、「私が他の人と遊んでいて嫌じゃないの?」とも聞いたんですが、彼は「どうせ最後には俺のことを一番好きになるから」とか言っていて、なんだこいつ!とか思っていたんですが(笑)・・その後で、本当にそのとおりになっていきました。
子宮頸がんとの闘病:自身の変化と、彼への強い依存
付き合い始めて1年くらい経った頃、いよいよ高度異形成から子宮頸がんが発症しました。闘病中は抗がん剤も入れて髪の毛は全部抜けて、吹き出物も凄くて肌もボロボロになって、体重も10キロ増えました。それまでは美意識が高かったのでかなりきれいにしていたんですが、この現実が本当にショックで、女性としての自信が完全になくなってしまいました。
がんの大きさ的に切開手術が必要で、しかも子宮を全摘するか残せるかは開いてからじゃないとわからないと言われ、そうした恐怖の中での手術になりました。結果としては一部の切除で済んで子宮を残すことができたんですが、大きなトラウマも残りました。同時に、手術後はお医者さんも「早く妊娠しないと子供が産めなくなる可能性がどんどん高くなる!」とプレッシャーをかけてきました。それまでは子供が欲しいとは強く思っていなかったんですが、子供を作るタイムリミットみたいなものを具体的に意識させられる状況に置かれた時、私の考え方も変わりました。
そんな風に、人生としても、女性としてもどん底の状況で、彼に対する依存が爆発しました。彼は私がボロボロの体で見た目が変わってしまっていても、そこではなく内面が好きだから何も変わらないと言ってくれて、いきなり離れていってしまうことはありませんでした。ただ、私が自信を無くすことで何もかも怖くなって、「捨てないで!置いていかないで!」と彼にすがりつくようになりました。これは回避依存症の彼にとっては非常に重かったようで、、私が自立してたから好きなのであって、私の辛い部分やメンタルの落ち込みを俺にどうにかしてもらおうとするな、という感じでした。彼的には、自分の性格ではそれを受け止めきれないことがわかっていたんだと思います。
しかも、彼には既に2人の子供が居たんですが、これ以上は絶対に作らないと決めていたので、急に子供が欲しくなった私の条件とも一致しなくなってしまって、そうしたギャップにも苦しむようになってしまいました。それでも、私には彼しか居なかったので、結果的に非常に強く彼に依存していきました。
で、私がそんな形で不安定になった頃から、彼が外で遊び始めたんです。彼は隠し事ができないタイプだったので、おそらく体の関係まではなかったようですが、女の子たちと飲み歩くようになりました。私のお見舞いにきたその足で遊びに行ったりもしていたらしいです。私はそれがすごく不安だし不満で、しかも抗がん剤が終わって家に戻っての療養が始まってからも、今度はコロナで外に出歩けなくて、お互いにストレスが溜まって、だんだん暴言を言い合うような感じになっていってしまいました。その度に彼は脱走して帰ってこなくなって、長い時は4ヶ月くらい家に居ませんでした。
でも、喧嘩しつつも私は完全にメンヘラになっていたので、めちゃめちゃすがってしまいました。2年間はずっとカツラでしたし、「女性としても人としても誰にも見向きもされなくなっちゃう!」という恐怖がありました。彼もそういう私を見て可愛そうになって戻ってくるんですが、やっぱり自分では受け止められないと気づいているし、自分への依存を感じるのが辛いし、逃げたい、となってしまうんですよね。でもここで重要なことがあって、彼は彼で私に依存しているので完全には逃げられないんです。なぜなら、回避依存である彼は「回避しても自分を見捨てない人」、つまり私に依存するので・・。そんな共依存の関係が3年も続きました。
辛かった思い出: 彼の常識を理解する難しさ
やっぱり、私が弱っている時に支えて欲しかった。寄り添って欲しかった。優しい言葉をかけて欲しかった。でも、彼はそういう世間一般で言う親密な関係性を回避したくなってしまうんです。私が病気になったからとか、髪がなくなったからとか、そういうことではなくて、心が弱って、助けてもらいたくなったことが彼にとっては致命的だったんだと思います。私にしてみれば、これからの人生でも体の不調があったり、病気にもなるだろうけど、その度に彼に放置されたりぞんざいに扱われたりするのか、と思うと、彼とずっと付き合っていくのは無理じゃないか?と思うようにもなりました。
少し彼の世界観についてお話しすると、彼は仮に自分が寝たきりになったら、誰にもお見舞いに来て欲しくないし、心の底から誰にも会いたくないし構われたくない、放っといて欲しい、と言っていました。普通は看病して欲しいと思いますよね。私は逆にケアしたくなっちゃうんですが、それが煩わしいらしいです。
彼は、彼自身がそういう性格なのであって、愛していないということではない、としきりに言っていました。そういう結果としてそういう行動になることと、好きという気持ちは別と。でも、人は自分の価値観で愛を測ってしまうもので、、「自分ならこうするよね」という基準があるから、それと違った時に受け入れられるかどうかということなんだと思います。今思うと、私がもう少し元気で余裕があったら受け入れられたかもしれません。彼は、母親にさえも価値観が違いすぎてわからないと泣かれたこともあるそうで、「もうきっと誰にも理解されない」と言っていました。
その延長で、彼が私とのお付き合いに疲れて、回避依存なんで別れたくなっちゃうんだよね、という話を友人に話すと「なんで実際に別れないの?」とか、「なんで彼女にも家賃を払わせないの?」と責められてしまっていたようです。(実際のところ、彼は別れられないんですが・・。)そこでとやかく言われるのが嫌な彼は、周囲には私とはもう別れていて、私も家から出ていったことにして触れ回っていたんですが、それが回り回って私の耳にも入ってきました。私はもうめちゃくちゃショックでした。だって、フリーなことにして女の子を漁りたいんでしょとか思うじゃないですか!(笑)実際、お金目的で近づいてくる女の子なんて山ほどいましたし。その子達とご飯に行ったり、全然誠実じゃないじゃん!と。でも、彼としてはそんなつもりはないし、遊んだ女の子とも毎日会ってるわけじゃないし、2週間に1回みんなで飲みました、くらいの話なのに、私にすごい責められちゃうという感じで、それも辛かったみたいです。
彼はとにかく、色んな関係を清算するよりは、そのままにしておく方が楽だったみたいです。私以外のケースで言えば、奥さんなんかは高級住宅街に戸建てをもらって、子供の養育費も必要以上にもらっていて、もう彼の不倫とか浮気を騒ぐことが得策じゃない状態だったと思うんですが、彼はそれで奥さんから彼への気持ちがなくても全然それで良い、という感じでした。奥さんは完全に諦めているんでしょうね。彼いわく、お金は律儀に払ってるし、責任は果たしているという感じ。普通の感覚だと「それでも奥さんが大事なんじゃないの?」と思うんですが、手続きが面倒だからしょうがなくやっているとのことでした。そのうち、私の家賃を払ってくれていることも、しょうがなくやってる感じになっていってました。
印象に残っているえっち: セックスが自傷行為だったかも?
実は体の相性はあまり良くなかったです。彼はドSで、相手を乱暴に、雑に扱うのが好きな人でした。私もSな人は好きなんですけど、愛のないSは好きじゃないというか。初めては付き合うことを決めた沖縄旅行の時でしたが、彼的には合わないなと思ったらしいです。まだそこまで親しくなかったので遠慮があって・・そのうち立場が逆転していく中で、合ってきたみたいです。正直、私は彼とのセックスが嫌になっていったんですが、依存していたこともあって、言えなくて辛かったです。彼の気を引くために体を差し出している感覚になっていました。
しかも、子宮頸がんの手術をしてからデリケートになって、すぐに膀胱炎になっちゃう体質になったんです。なので、雑にされるとすぐに具合が悪くなっちゃうし、しかも彼は遅漏だったので、ますます辛くなってしまいました。なので、手術後の3年間はほぼセックスレスでした。3〜4回くらいしかしなかったんじゃないかなと思います。
よく考えたら、私自身はそこまでセックスが好きじゃないんじゃないかなと思います。どっちかというと自傷行為に近いというか。彼以前にも、自分に対しての攻撃心が高まった時に誰かとしてみたり。攻撃的なセックスをする人と付き合うことで自分を傷つけていたみたいです。それで、私は相手への愛情が強まってきたり、パートナーとして好きな気持が高まってくると、セックスしたくなくなってくるんですよね。家族愛的なものになったからというよりは、そもそもセックスを求めてないんだなと。精神的・恋愛的に満たされるとセックスしなくて良くなるようです。
別れ: 「別れる元気」が出た時に受け止められた
「ひかるちゃんと一緒に居てもつまらなくなった。何かを言うにしても、顔色や体を伺って発言しないといけないから辛い。思ったように発言・行動できないのがつまらない。他の女の子ならこんなことはない。」「俺の人生にひかるちゃんは必要ない。どうしても別れたくなかったら一人で住んで欲しい。週1〜2回ならがまんして会える。」闘病も含めた3年間で、これに似たようなことはずっと言われ続けていました。普通ならそんなこと言われたらすぐ別れると思うんですが、私はずっと彼に依存して、すがっていました。追い出さないでください、置いてくださいと。その時は、仕事の方もとんでもなく忙しくて、体も回復しきってなくてメンタルが不安定だったので、なおさらだったんだと思います。
でもある時、転職を決意して精神的に余裕ができたタイミングで、ちょっと正気に戻ったようで(笑)ようやく彼の言葉を正面から受け止めて、別れるという選択肢をちゃんと考えられるようになりました。
また、転職すると忙しくなって、彼ともあまり時間が作れなくなると思ったので、家に帰ってきてくれるように彼に電話したんですけど、当日になって帰ってきてくれなくて。その時に「もう本当に別れるしか無いの?」と彼に聞いたら「しばらく俺のことほっとけばいいじゃん。どうせ俺の気持ちが落ち着いたらなぁなぁに関係が続いていくだろうに、なんで今ここで俺に0か10を決めろって言うの?今聞かれたら別れるしか答えはない」と言われました。その時は「じゃあいい」といって切ったんですが、、実際に新しい仕事が始まって、外に出て色んな人と話していくうちにどんどん元気になって、よし、別れよう!と気持ちが固まりました。決めたらその日のうちに不動産屋さんに行って、家の解約手続きをしました。名義が彼だったのですぐに彼にも連絡も行ったみたいで、「別れる決心をしたんだね。こっちでやることがあったら言ってね。」という反応で、まぁなんだかんだ4年間も付き合ったので、多くは語らずとも色々了解してくれた感じでした。
気づいたこと: 愛を測る基準は決めつけない方が良いのかも
回避依存者の彼は、喧嘩したりでストレスがあるとすぐに脱走して帰ってこなかったです。私と付き合う前の恋愛パターンも聞いていると、だいたい脱走してきてました。そういう振り回し系彼氏にくっつきやすい=彼が回避しても離れていかないのが共依存者となった私だったんだと思います。結果、私も彼もその泥沼にどっぷりハマってしまっていました。
ただ、やっぱり彼のことは本当に好きでしたし、単なる依存だとかで片付けない方が良いかなとは思います。彼には彼の愛の形と、普通の感覚ではそれには結びつかないけど彼の中での愛に対する行動の基準があって、彼なりの誠実をしてくれていたのかなとも思います。なので、それを理解してあげる努力もあっても良いのかなと。とはいえ、自分にだって譲れないラインは当然あるわけで、そこで歩み寄りができなかったり、折り合いがつかなかったりするなら、やっぱり難しいですよね。
それから、やっぱり別れるにもエネルギーが要りますね。冷静になって色んなことを受け止めるには、心身の健康が大事なんだなと痛感しました。この3年間は元気もなかったし、寄り添ってもらえなくてつらい思いをしましたが、自分で全て決別したらすごい前向きになれました。これからしばらくはしっかりと仕事に向き合って、そのうち良い出会いがあれば良いなと思います。
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